たくさん家族★バラ色育児

43歳 男児4人+末っ子妹1人★毎日バラ色?育児奮闘ブログです

母との確執 10

 

 

 

三男を出産した時にも

母は、家に来たらいいと言ってくれていましたが

次男出産後に戻って暇な長男の相手を1日中しなければならない事を考えたら

きつかったのと、長男・次男2人分の服や荷物を持っていくのが大変なので来てもらう事になりました。

私の入院中を含め3週間ほど来てもらっていましたが

「ありがとう」と言って

毎回、お礼のお金を渡すのでその時も渡して家に車で送っていき

「ありがとう!じゃあね」と別れました。

 

その後、何度電話をしても出ないのです。

何日間もかけ続けましたが全くでない。

おかしい・・

倒れてるのではないだろうか?

入院でもしてるのか?

と生まれて1ヶ月ほどの三男を車に乗せて

高速道路で30分

母の家につきチャイムを何回もならすけども

出てこないので合鍵で家をあけてみました。

2階の部屋で横になっていました。

「電話したけど 出ないから・・・大丈夫なん??

調子悪いの??チャイムも何回もならしたで!!」と聞くと

 

電話はなっていない。

気づかなかった。

チャイムもなっていない。

と言うので

 

家の中から私の携帯で電話をしてみると

確かにならないので見てみると

電話線が抜けていました。

母は「あーー ほんまや!ほんまや!わからんかったわー」と言いました。

 

めちゃくちゃ腹立ちました。

こっちは産後まだ1ヶ月でしんどくて 赤ちゃん連れて出たくないのに

高速1人で赤ちゃん連れて、わざわざ見に来なくてはいけなくて!

電話線が抜けてたって!!!

だから携帯を持ってくれと言ってるのに!

 

母は、いつも

「携帯電話は使わない。かけるところがないから、持っているのがもったいないし、意味がない」と言っていて

今までは・・あまりキツク言いませんでしたが

 

その時、初めてキレて言いました。

「携帯電話は、自分のために持つのではない!!周りの人が連絡をとれるようにだから周りのために持つんです!!迷惑をかけないために持つんです!」

と怒りました。

 

それに対しても

「そうやねー わかった わかった」と言ってはいたものの

その後 1度も持つことはなかったです。

 

当時は、電話線が抜けていたのは

たまたま抜けたのだなと思っていましたが

今思えば、電話がなるのがわずらわしくて

母が抜いていたのではないかと思います。

 

母は、事故をしてから体をあまり動かすと痛くなるからと言って働いていませんでした。

60代前半でまだ年金を貰っていませんでした。

65歳から額は少なくなるけれども貰えるからと貰い始めましたが

5年ほど無職・無収入でした。

おじいちゃんと、おばあちゃんの遺産があり

おそらくそれを 少しづつ使って生活していたと思います。

働かないと生活できないし・・

60代でも選ばなければ仕事はあると思うし・・

それに社会との繋がり、人との繋がりって 大事じゃないですか

だから1時間でも 少しの収入でも 何でも働けばいいのにと

思っていましたが

「もうこんな年では仕事はないし、めんどくさい付き合いもしたくないし、体も悪いし、きりつめれば生活できる」と言って外に出ない母を

あぁ・・こんな風にはなりたくないなと思っていました。

 

体が悪くて働いたりで出来なくて収入が得られないのなら

役所に行って相談をすれば生活保護なり何か他にあるのではないか?と言いましたが

「生活保護も持ち家だとダメだと言われたし、役所も何度も行っているが

話したくない自尊心が無茶苦茶になる」と言っていました。

 

生活はきりつめて、きりつめていました。

だけども孫には誕生日やら何やらと多めのお金をいつもくれ

収入がないのはわかっていたので

いらないよと言いましたが毎回くれました。

その分、生活をきりつめて、少しのことでは病院も行かず生活している母がを見て

悲しい気持ちでした。

私にしたら母が病気になって早くに介護などしなくてはならないのも負担だし

孫のためにも長生きしてほしかったので

孫お小遣いをあげるために病院に行けないと言うなら

お小遣いはくれずに病院に行ってほしかったです。

ただただ毎回毎回 体調が悪いというのを聞くのが嫌でした。

 

本人は

「好きで節約してやってる。誰に何を言われようと自分で納得してやってる生活。これが幸せだと思ってるので別にいい」と何度も何度も言っており

自分に言い聞かせてやってるのか?と思うほどでした。

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私は長男を出産してから

母と別居してから会ってなかった父親とも会い孫を見せて

仲良くしていました。

父は、母とは違い

仕事もバリバリしており、収入も安定して

自由で 裕福な暮らしぶりでした。

 

あまりの2人の差が

痛々しかった。

 

どう見ても母は負け組に見えた。

絶対にこんな風にはなりたくない。

離婚すると損だなと思いました。

再婚するならそうでもないけれども

DVとか給料をいれないとか そういう末期的な事以外の性格の不一致などで

離婚して1人でいると女って損だなと思ってしまいました。

 

 三男を出産後

その頃から

母は、体調をくずして

おたふくになったとか、アデノウイルスに気づかず ほおっておいたら ひどくなりなかなか治らないとか、熱が下がらない、声がでない、しんどい、眠れない

半年間ほどずっと

「体調悪いし、うつるから来ない方がいい」と言われ

断られ続けていました。

本当に体調がわるかったかもしれませんが

ちょっと様子がおかしいなというのは この頃からありました。