たくさん家族★バラ色育児

43歳 男児4人+末っ子妹1人★毎日バラ色?育児奮闘ブログです

母との確執 5

 

当時の母は、友達のような存在でした。

私が勝手に友達を部屋に泊めたりしても何も言わなかったのですが

その内

「お互いの事は、干渉しあわないでいこう」と言われました。

私の勝手な行動については何も言わなかったけれども

色々思うところあったのかもしれないです。

でも もう疲れてしまって諦めたのか?

母も男性を連れてきたりすることもありました。

 

自分の母親って

こういう人だと自分の親のイメージを自分の中でもっているものは

もしかしたら実は違うかもしれませんね。

子供を育てるために母親は、無意識に母親を演じているのかもしれません。

優しい母、強い母、叱る母、暖かい母

色々あると思いますが

思っている母親は、その人の持っている性格とは異なり

母親という役柄だけかもしれません。

 

私の母は、優しく明るい人でした。

私を怒ったりすることは ほとんどありませんでした。

そういう母が私の中では普通であり、母親像でした。

 

私の母は、猫が好きでした。

一軒家には庭があったので

小学生の頃、庭によく野良猫がやってきました。

茶色と黒の顔の模様が鼻のところで半分に分かれていて「ハンブン」という

名前をつけて可愛がっていました。

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餌を母があげていたので 頻繁に来ては懐いていましたが

私の家の横のお宅は年輩のご夫婦が住んでおり、

ハンブンは私の家でご飯を食べ、横のお宅でウンチをしていたようでした。

毎日されて困った横のお宅のおじさんは、ハンブンが庭に来たら追いかけて追い払ったり、踏んだらくっついて取れなくなるネズミ捕りをしかけていました。

それを知った母がハンブンに

「何て可哀想な事をするんだろうね。ハンブン気をつけないとダメよ」と言って横のお宅の悪口を言っていました。

私も母から聞いて横のお宅のおじさんの事を悪い人だと思っていたし嫌いで

挨拶もせず悪い態度をとっていたと思います。

 

野良猫以外にも猫を飼っていたこともあります。

家の中にずっといると可哀想だからと自由に好きな時間に外に出ることができるように

窓を猫が出入りできるくらいの幅を常にあけてあげていました。

飼い猫は、ご飯を食べに戻ってきては外をウロウロしていて

どこかの猫とケンカして帰ってきてはケガをしていたり、

お迎えのお宅でよくウンチをしていたようでした。

母が「お迎えさんところでウンチしちゃダメよー 怒られちゃうよー」と笑いながら

よく言っており

当時の私も母と同じように思ったり、笑ったりしていましたが

大人になってから気づきました。

これは間違いなく近所で嫌われていたなと思いました。

私や猫にとっては優しい母でしたが、周りから見れば違った印象の人だったかもいsれません。

 

 私は、中学を卒業して高校に通う事になります。

中学時代は自由にしていたので

学校にもほとんど行かない時期もありました。

先輩達も高校に行っている人が、ほとんどいなかったので

不登校の先輩にも「高校なんか行く必要ない」と言われ

高校に行くのは格好悪いというような気持にもなっていて

私も行かないでおこうと考えていました。

 

ある日、母に進路について尋ねられたので

「高校にはいかないでおこうかなぁ」と言うと

じゃあ どうするのか?と聞かれ

私は料理を作るのが好きだったので

「調理師専門学校に行こうかな・・でもなぁ

調理師になるのは男の人が多いよなぁ・・

女は何で少ないのかなぁ・・うーん」と悩んでいると

母は、高校にはとりあえず どこでもいいから行った方がいい。

それからでも調理師専門学校には行けると説得されました。

仕方なく私は、とりあえず行ってみようかと思います。

おそらく受ければ、ほとんどの子が入れるような私立の女子高に行くことになりました。

周りの子が、掛け算や割り算ができないような子達でした。

私は中学にほとんど行っていなかったので中学の後半の勉強は

できませんでしたが小学校の勉強は普通にできていたので入学して

少しの間は、本当に驚きました。

 

そんな高校でも、あの時に高校に行っていなければ どうなっていたのだろう・・

珍しく強く導いてくれた母に感謝しています。

 

 

高校に入学してすぐは、その高校に入った悪い子達と仲良くしていましたが

素行の悪い子は、すぐに次々と退学になっていきました。 

普通の友達もたくさんでき高校は楽しかったです。

私も家では相変わらず自由にしていましたが

せっかく行った学校だし

素行が悪かった自分を知らない子達の中に入っているし

新しい自分なれる気がしたし、せっかく行かせてくれた母を悲しませるようなことはしたくなかったので

真面目に通って卒業しようと思ってきちんと通いました。

 

 

 


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