たくさん家族★バラ色育児

43歳 男児4人+末っ子妹1人★毎日バラ色?育児奮闘ブログです

母との確執 4

 

 

父と母が別居を始めてから私の母はスナックで働き始めました。

なぜ昼の仕事につかなかったのだろう・・と

大人になってからは思う私がいますが

夜母が不在でも、おじいちゃんと、おばあちゃんもいたし

私も中学生で自分のことは自分でできたし

手っ取り早く高額の収入が得られたからでしょうか

 

以前、長男の保育所の同じクラスに4歳の女の子を1人で家に夜置いて

夜の店に働きに行っているママがいて

一度、昼の仕事をしたが給料が安くてやってられないと言っていたという話を母にした時に

「まぁ でも わからんでもない。夜の仕事は楽しいから、やめられない。

こんな私でもチヤホヤしてくれたりしてたしね」と言っていました。

 

中学生の頃の私は

夜ご飯は自分で作るか、出前をとるか、年上の先輩とお店に食べに行くかなどでした。

苦痛ではなかったですね。

おじいちゃん、おばあちゃんは19時ころには寝ていますし

1階には私だけです。

すぐに悪い友達の溜まり場になりましたね。

お金は家にいつも置いてあったので自由に使えました。

たくさん使っても

母も何も言いませんでした。

自分が夜働いている後ろめたさもあったのかもしれませんね。

母は、 当時 私の良き理解者というか友達みたいな存在でした。

 

私の悪い友達の悪口も言わず、友達にもよくしてくれました。

私は、そんな母が大好きでした。

一般的には親は悪い事は怒るのが当然のイメージですが

自分の母は普通の親とは違うんだ!なんか

カッコいい母だ!と思っていました。

 

悪い友達のほとんどが

家庭に何らかの事情のある子ばかりでした。

当時の私は、それがとても羨ましかった。

不良=家庭に問題があり反発心で不良になっている=意味がある

と思い込んでいました。

私はというと、何不自由なく育ててもらい、父は普通の会社員で

技術職で手に職があったためか月に50万以上は収入がありました。

1人っ子だったし裕福な家庭だったと思います。

それがなぜ?こうなっているのか?自分でもわかりませんでした。

幼いころからは親に特別不満もありませんでしたし

母親のお友達や知り合いや親戚などからは

「1人っ子か!甘やかされて育っている」と常に言われていて、とにかく嫌でした。

私は、甘やかされて育ってなんかいない!!と思っていましたが大人になって振り返ってみれば

親に叱られた経験も少なく、叩かれたこともない。

欲しいものがあればだいたい買ってもらえたし

我がままも通った。

甘やかされて育った子だったと思いますが

周りには、そんな甘やかされた家庭で何不自由なく育ったことを気づかれるのが嫌でした。

 特別不満がない私が、なぜ?

こうなっていたのか?

 

中学生から見た大人に近い世界

自分が初めて見る世界がキラキラして見えて

好奇心が強い私は、どんどんと楽しい方へと向かっていったのだと思います。

 

小学校の高学年の時に

自分から行きたいと言ってそろばんを習いに行ったり、母の勧めから英語の教室に通い始めましたが

そろばんは1年ほどで辞めましたし、

英語も中学には辞めていました。

私には熱中しているものもなければ、目標もない。

時間だけはあり、退屈で将来の夢も特にない子でした。

 

夏祭りで 不登校の先輩と出会わなければ

どうだったかはわかりませんが

その時、私は5人ほどの友達と一緒にいて

先輩に誘われて、その後、自宅に行ったのは

私ともう1人だけでした。

次回には、そのもう1人は来なくなり

私だけが通うようになりました。

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好奇心が強く、時間があり、退屈な毎日だったから?

他の友達は、みんな静かにひいて行きました。

危険察知能力が、働いたんだと思います。

この人とは、関わってはいけない。

私は、その危険察知能力が働かず

キラキラして見えてしまった。

先輩からも この子は誘えばいけると思われて見透かされていたのかもしれません。

 

子供は、熱中できる何かが必要だと思う。

目標を持ち、夢を持ち

一生懸命になれる事が必要なのではないかと思います。

それが習い事であったり、何か他のことであったり・・

友達と遊ぶ時間も子供には、必要だとは思うけれども

親が何か与えてあげたり、きっかけを作ってやり

子供に自由な時間ばかりを過ごさせては、道を間違える場合もあるのではないかなと思います。

もしも道を踏み間違えそうな場面に遭遇したとしても、熱中する一生懸命やっている事が1つでもあれば、そこまで深入りしないのではないかなと思う。

その子によるとは思いますけれどもね。

 

あと私の場合

母は、ほとんと叱る事はありませんでしたが揉めた時に

一度だけ母が、物凄くキレて

「誰の金で食べて、服を買って、毎日生活してると思ってる!?どんな思いで毎日稼いでいると思ってるんだ!?お前が代わりに体でも売って稼いで来い!!!!」と発狂されたことがありました。

数日後

「あれは本気で言ったのではない。そのくらいの気持ちだという例えで言ってしまった」と謝ってきていました。

私はビックリしましたが、母も悩みながらの毎日だったのかもしれませんね。

私には文句や悩みは、言わず どうして良いのかわからず、ずっと悩んでいたかもしれませんが、もっと本音で話をしてくれていたら違っていたかもしれないと思います。

確かに 当時は、母から否定的な事を言われたら

逆キレしていたかもしれませんませんし、先輩との付き合いの事を言われると更に反抗的になったかもしれません。

だからこそ もしかして友達みたいな作戦をとったのかもしれませんが

母が何も言われないことを いい事に どんどんと悪い道へと進んで

行ったことは間違いありませんでした。

 

 

 

 


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