たくさん家族★バラ色育児

43歳 男児4人+末っ子妹1人★毎日バラ色?育児奮闘ブログです

母との確執 1

先日、お盆に私の父親と会いました。

父親が言うには

私が出産時の入院中、体調を崩し怒って帰る時に父の車の中で

何かがあっても自分とは連絡がとれないように

役所に手続きをしに行くと言っていたと

 

いわゆる絶縁をしたかったのでしょうが

DVとかならできるのかもしれませんが

相当な理由があり

相当な手続きが必要なのでは?と思うので現実的には

できないのではないかなと思いますが

 

それを聞いてから色々、考える中で

親と子の関係とは

とても難しく年齢によって変わってくるもので

自分がしたことは、また似たようなことが将来自分に回って来るかもしれない?

親と子の関係のようなものの怖さを感じました。

 

これから 長々と過去に遡り母との関係について書いていきたいと思います。

似たようなお悩みなどがある方、興味のある方は

お付き合いください。

 

 

母は、30歳の年齢で私を生んだと聞きました。

当時としては遅めの年齢に1人目の私を生んだそうです。

父は、4歳年下で

そんな年上の女とは結婚してはいけないと父の両親に反対されたのを

押し切って結婚したのだそうです。

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私が幼いころには県住に家族3人で暮らしていましたが

幼稚園に入る前くらいには

私たち家族は母の両親と一緒に暮らし始めます。

新築の一軒家を建て

1階は私たち家族、2階は母の両親

住宅街の環境の良いところでした。

後に母は、この同居こそが1番良くなかったと言っていました。

私ならしないですけども・・

マスオさん状態の父と自分の両親と暮らすとトラブルになりそうなもんです。

 

私の母は、4人姉妹の3番目で裕福な家庭に育ちました。

本当は5人姉妹だったようですが

体が弱く早くに亡くなってしまったとか、おじいちゃんのメカケの子だったと

聞いています。

昔は、そういうのがある時代だったんですよね。

今では、大炎上です。

 

母の姉妹は全員、近所に住んでおり

何かというと私の家に集まり

宴会のような集まりがありました。

大人になってから思いましたが

母親がわの家庭の集まりが頻繁にあるというのは

めずらしい気がするのですが・・

おそらく おじいちゃん・おばあちゃんがお金を持っていたこともあったのと、おばあちゃんが そういう事が好きだったようです。

 

私は1人っ子でしたが

母の姉妹が近所にいたことから

周りに、いとこがたくさんおり

賑やかに過ごすことが多かったです。

いとこは、女の子が多かったので楽しかった反面

私だけが1人っ子で孤立感も強かったです。

1人っ子は嫌だ。

ずっと思っていましたね。

 今の時代は、1人っ子も多いので

あまりそうは思わないかもしれないけれど

私の子供の頃は たいてい2人きょうだいで

1人っ子は、ほとんどいませんでした。

 

 でも実際は、母から聞いた話ですが

私が生まれる前に母は、妊娠をしていたが中絶をしたと。

事実かどうかはわかりませんが

風疹になり怖くて中絶したと聞きました。

 

私は、比較的おとなしい子で

勉強もスポーツもわりとできるほうの子でした。

私は、両親からきつく 叱られた記憶も少なく

明るく活発な母、優しくおとなしい父に育てられた記憶があります。

 

叱られた記憶と言えば

小学生の頃に

遊んでいて自宅に帰る時間が少し遅くなったことがありました。

今まで注意されたこともなかったのですが

その日は、ものすごく叱られ

家の中に入れてもらえず

「入れてー ごめんなさいー」と泣きわめいて

泣くのも疲れて静かになったころに

自宅に入れてもらった記憶があります。

 

勉強も教えてもらった記憶は、ほとんどありません。

低学年の頃に時計がわからなくて

教えてもらった記憶はありますが

何度教えても私が理解できなかったので

ものすごく怒られた記憶はあり呆れてどこかへ行ってしまいました。

それからは、勉強でわからない事があって何度か伝えましたが

特に何かをしてくれたという事はありませんでした。

 

夏休みの宿題というと

昔は皆さんどうだったのでしょう

昔は今ほど手伝ったりしない家庭が多かったのでしょうか

今は、親が手伝うことは多いと思うのですが

私は手伝ってもらったり、しなさいと言われた記憶はないです。

図工が苦手だったので

工作を手伝って欲しいと母にも父にも言いましたが

無視でした。

仕方なく無理やり自分で作った作品は

高学年とは思えない酷いもので展示されるのが、本当に嫌だった記憶が残ります。

 

近所のお友達やクラスの子は、みんな幼い頃から

習い事をしていましたが

私は、低学年は特に何もしていませんでした。

比較的、裕福で1人っ子だったのに

なぜ習い事をしていなかったのか

大人になってから母に聞くと

私が、習い事はしたくない様子だったと言っていました。

なので幼い頃は、退屈でした。

お友達が習い事をしている日は、遊べないなんてことも

よくありました。

 

不思議ですね。

子供の頃の思い出を思い浮かべると

強く残っている記憶というのは

とても楽しかったこともたくさんあるはずなのに

嫌だった事、不満に思っていた事、辛かった事のほうが

大人になってからの記憶に残っているのです。

そして今、子育てをしてる私は

自分の親と全く反対の事

おそらく嫌だった事の真逆の育児をしているんですよね。

子供の頃から ずっと母の事は好きだったし

嫌だった記憶はずなのですが。

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