たくさん家族★バラ色育児

43歳 男児4人+末っ子妹1人★毎日バラ色?育児奮闘ブログです

死産後にしなければならないこと (3)


笹川美和 / 笑 -LIVE- 笹川美和LIVE 「愚かな願い」@サラヴァ東京(2012/8/30,31)

火葬当日

朝から保育園に子供達をパパが送っていき、そのまま役所により手続きをし火葬許可証を貰い私を迎えに病院まで来てもらい火葬場へ向かいました。

 

病院の地下の遺体霊安室からすぐに赤ちゃんを車に乗せるので

地下の霊安室付近に車を停めることができ人目につかないようスムーズに行くようになっていました。

車に乗せパパがエンジンをかけた直後にラジオから流れてきた曲は笹川美和さんの

「笑」でした。

本当に偶然ですが 私が昔大好きだった曲でした。

涙がポロポロと・・止まりませんでした。

 

火葬場について事務所でお金を支払い少し待ちます。

お骨はどうされますか?32週くらいだと、お骨がわりと残ります。

10週代くらいだと ほとんど残らないんですけれどもね。

拾って帰られるなら3時間ほど待っていただきます。拾って帰られないのであれば

もう ここで帰っていただいても大丈夫です」

 

どんな状態なのかきちんと見てお骨も1つだけでいいから

拾って帰ろうと思いました。

 

「お骨を入れる何か入れ物はありますか?」

 

元気に生まれた赤ちゃんのへその緒を入れた病院から貰ったケースを持ってきており、そのへその緒と一緒に入れて持ち帰り、一緒に保管しておこうと思いました。

あの子が大きくなった時に説明して見せてあげようかなと思いました。

 

「お骨の埋葬はどうされますか?」

パパ側のお墓もあり考えましたが

お坊さんも呼ばないし

市の共同の墓地に入れてもらうことにしました。

大人と一緒のところです。

それもあったので 何だか可哀想な気持ちになり

せめてお骨だけでも 手元に持って帰りたかった。

 

火葬を待っている間は、通常のお葬式の方達も食事をされて待っているのと同じように

私たちも昼食をとって待っていました。

火葬が終わる時間に行くと火葬場の方が焼いたあとを説明してくれました。

通常の火葬の時と同じような説明です。

とても綺麗にほとんどの骨が残っていました。

これが、どこの骨で

これは どこの骨でと・・

その中から1つだけ耳の後ろあたりの丸い骨を持ち帰らせてもらい

満足というか

何というか 清々しい気持ちに

ごめんね・・という気持ちから

ありがとう・・という気持ちに変わりました。

 

その日、快晴で

空はとっても晴れて良い天気でした。

 

小さな火葬場でしたが火葬場の方達の対応も本当にとても親切でした。

 

 実は、まだ生まれてきた赤ちゃんの名前を決めていませんでしたが

火葬したその日に決まりました。

今までの4人の兄弟の名づけは全てパパがしており

私には権利がなかったのですが

今回、双子に名前をパパがつけていたのですが

1人が亡くなって

「もう・・この2つの名前は一度リセットしよう・・考えてくれないか」と入院中に言われていて私がつけました。

 

名前の由来は

「ながく幸せに生きられますように」という願いをこめて付けました。

そして亡くなったお姉ちゃんの予定の名前が平仮名で「さくら」と

パパがつけていたので元々は妹は漢字の名前にする予定でしたが

お姉ちゃんから平仮名をとって平仮名にしました。

桜が咲き満開になり散ったりしてるのを見ると

思い出します。

毎年、忘れず思い出すことになりそうです。

 

火葬の翌日に私のみ退院し

パパと役所に出生届を出しに行きました。

前日にパパが死産届を出した場所です。

 

婚姻届と離婚届

出生届と死産届

同じ場所ですもんね

何か 何とも言えない気持ちになりますよね。